「裏のおばあちゃんとこ行ってたこ焼き食べておいで」って、母が忙しいときなんかは小銭を渡されて、近所のおばあさんがひとりでやってるたこ焼き屋さんでよくたこ焼きを食べました。
木造の長屋で、入り口の部分が店で奥と2階が自宅というスタイルのお店で、店内は今考えると衛生面でどうなの?という感じのお店だったけど昭和40年代って、今みたいにいろいろ気にしてなかったし、だいたいそんな感じだったと思う。
薄暗いお店でたこ焼きの鉄板が真ん中に4つぐらい置いてて長い木のこしかけが前面と左側に置いてあった。
右側はジュースとか牛乳とか飲み物の瓶が入っている冷蔵庫があって、鉄板の向こうにたこ焼き屋のおばあちゃんが割烹着を着てたこ焼きを焼いていた。
おばあちゃんの向こうは自宅の部屋。
部屋に上がるところに、水色のポリバケツがあって、中にはたこ焼きの液とひしゃくが入っている。
その時って今みたいにたこ焼粉ミックスなんてないから子どもは、「たこ焼き(の液)ってどうやって作るの?」って聞くけど「それは言われへん。」と言ってた。
出してくれる水は冷えていない水道水で色のついた軽いプラスチックの不透明のコップに入ってた。
たこ焼きはお皿じゃなく、持ち帰りと同じ舟皿。
中に入ってた具材は、たこ・こんにゃく・紅ショウガ・ねぎ・天かすでおばあちゃんの指は紅ショウガでいつも赤く染まってた。
今でも自宅で作るたこ焼きはおばあちゃんところのたこ焼きの材料と同じ。私のたこやきのルーツ(笑)
たこ焼きの上はソースに青のりとたっぷりのかつお節がかかってて、ソースをぬるときに舟皿を持つおばあちゃんの左手にもソースがつく。
ここのソースはすごく濃かった。濃くて酸味が強い。
そしてそれがおいしかった、あれ以来どこのお店のたこ焼き屋でも同じようなソースを食べたことがない。
おばあちゃんはたこ焼きソースをべったりつける、「ソース少なめにして」と言ってもべったり。こだわりがあったようです。
たまに「焼かしたろか」と言って千枚通し(たこピック)を貸してくれました。たこ焼きをお店で作らせてくれるのがとてもうれしかった。
中学1年の初めぐらいは、おばあちゃんのたこ焼き屋さんに行ってたけど、、いつのまにか行かなくなってその後おばあちゃんはもういなくなったことを聞かされた。
お団子ヘアの細くて小さいおばあさんだった、ちょっとだみ声で怒ったようなしゃべり方。
たこ焼きのおばあちゃんの顔や声は今でも覚えてるけど、いつも思い出すのは白黒。店内が薄暗かったというのもあるけど、白黒の中で色がついているのは、青のりの緑と紅に染まった指とたこ焼きの液を入れた水色のポリバケツ。
昭和にはこんなたこ焼き屋さんがたくさんあって、子どもに人気だった。
いまって、チェーン店のたこ焼き屋さんや、個人のお店でもおしゃれで小ぎれいなところや、店内で大人がアルコールを飲みながらたこ焼きを食べる店とかで、ソースもポン酢や醤油とか選べたり、トッピングにマヨネーズやチーズをかけたり。
それはおいしいし、よく利用するけど、昭和のあの雰囲気の店内でソースべったりのたこ焼きが食べたい。
今日、5月7日はこなもんの日。